その後の仕事

新卒で一般企業に就職すれば大概が営業職からスタートする。

それがイヤだからという理由で病院総務職に就いた男。

そこには、仕事に対する希望、意欲、野望、将来像、何もありません。

「とりあえず大学卒業したし、働かないと家賃も払えない」そんなレベルでした。

もっと下世話に言えば、「受付の○○さん、かわいいな」そんなことを考えていました。

『尊厳ある暮らし』とは無縁の職場で、ただ通っていただけの私に、

『変わる』きっかけを与えてくれた出来事がいくつかありました。

 

ひとつは、「かわいいな」と思っていた受付のお姉さんの言葉。

「仕事のできる男は魅力的」

それを言われて、真剣に仕事に取り組むようになりました。

下心丸出しの動機ですが、このおかげで、モノの見方がガラリと変わります。

担当していた仕事は、看護補助職員の採用面接、職

員寮の管理、院内車両の管理、入院相談など。

ひとつひとつの業務に真剣に取り組むうちに、

いつも事務所にやってくる患者さんの見方も変わってきます。

患者さんの入院相談に来るのは患者のご家族なんですが、

いざ入院すると、そのご家族を見かけることがない。

ご家族は入院相談で、

寝たきりや認知症(当時痴呆)の親がどれほど自分たちの負担かを訴えます。

「迷惑だ」とはっきりおっしゃる方もいました。

入院させた時点で、「厄介払い」できたという感覚なんでしょう。

それ自体を非難するつもりはありません。

家族の負担はそれほど重いんですから。

しかし、入院した当の本人にすれば、

家族と離れて、病院という場、

はっきり言ってしまえば『姥捨て山』で暮らさなければならない。

寝たきりや認知症のために、不満を訴えることもできない方たち。

今、事務所にやってきている患者さんもそうなんだ、

そう思うようになったとき、私の行動が変わります。

これがもうひとつのきっかけ。

それまで、なるべく関わらないようにしていたのが、

自分から声をかけ、話すようになりました。

すると、その患者さんの徘徊にはちゃんと意味があったことに気づきます。

仏壇を探していたんです。

自宅にいた頃から、毎朝居間の仏壇に手を合わせるのが日課だったようです。

入院して、居間も仏壇もなくなり、日課が行えなくなったことが徘徊へと繋がっていた。

実はその病院には、何の宗派か不明ですが、

職員食堂に仏壇というか神棚のようなものがありました。

そこにお連れすると、手を合わせて念仏を唱えられ、満足して病棟に戻って行かれました。

とはいえ、認知症の方ですから、次の日も、その次の日も事務所に来られます。

昨日のことはキレイさっぱり忘れています。

私の仕事は総務なので、毎日対応できるわけではなかったんですが、

時間が許す限りお付き添いしました。

 

私が介護の入り口に立ったのはこの時だったように思います。

呆けたおばあちゃんの話を真剣に聞いている私は、

他の事務員からは変わり者扱いされるようになります。

私としては奇行をしているとは思っていませんが、

崇高なことをしているつもりもありません。

ただ、人生の大先輩の話を真剣に聞いていただけなんです。

その後、独立してデイケアを開業するドクターに誘われ、

本格的に介護の現場に出て身体介護も行っていくわけですが、

私にとって介護は、キツイ汚いものではなく、崇高なことでもない、

ごく自然で、当たり前の 「人生の大先輩への敬意」から始まっています。

京都介護コンサル事務所

代表  太田 英樹

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